こんにちは!
ゆかぴー (@yuka_murao)です。
今回は、このブログを運営しているゆかぴーこと村尾友香って一体だれ?
ということで、わたしのプロフィールをご紹介します!
では、早速いってみましょうー!
目次
1. 略歴
大阪府枚方市出身。1993年生まれ。現在23歳。
高校時代までを大阪で過ごし、大学進学をきっかけに滋賀県彦根市へ。
大学4回生時、東京の企業に内定を貰い、華やかな生活が始まるかと思いきや、
圧倒的に卒業論文が出来なさすぎて留年。
再度就職活動をするものの、理想のライフスタイルを追い求めて
2017年4月より長野県辰野町地域おこし協力隊として活動中です。
それでは、次から詳しい生い立ちをご紹介します。
2.幼稚園〜小学生時代
とにかく人見知りで病弱だった幼稚園時代。
5歳の頃、心臓病の疑いで2週間入院したほどでした。
そして、平凡な小学生時代を過ごしましたが、小学6年生に転機が訪れます。
「小学校生活最後なんやから、挑戦できることは全部経験しよう!」
と運動会の応援団の団長、陸上大会、駅伝大会に挑戦。
この頃から、好奇心旺盛な性格があらわれていました。
ちなみに、この頃の将来の夢はアナウンサーになって野球選手と結婚すること。
3.中学時代
友達に誘われて、陸上部へ入部。短距離が専門。
同期が部活命でがんばっている中、
どうしても一つのことだけに集中することが出来ず、
生徒会の体育委員長を1年経験しました。
成績は比較的優秀で、3年間の定期テストの平均点は常に80点以上をキープ。
中学3年生のとき、京都で外国人に観光案内をしている女性を見かけ、
「自分もあんな人になりたい!」と憧れを抱きます。
これをきっかけに通訳ガイドという職業になりたいと思い、
英語科のある公立高校を第一志望に。
受験勉強の結果が実り、無事合格しました。
4.高校時代
高校でも陸上部へ入部。土日でも休みの日がないという超スパルタでしたが、
周りの人にも恵まれ、無我夢中で目標に向かって努力する楽しさを知りました。
そして勉強面では、人生最大のピークに達します。
クラス席次は3年間1桁をキープ。
英語に関しては、予備校のトップクラスの中でも1・2番を争っていました。
2泊3日でシンガポールからの留学生のホームステイを受け入れ、
「通訳ガイドになる」という夢はますます膨らむばかり。
大波乱の受験シーズンを経て、
最後は直感で外国語系の学科で、滋賀県にある某公立大学への進学を決めました。
5.大学時代
これまで勉強面では優等生を貫いてきましたが、
大学入学と同時にその地位は見事に崩れ去っていきました。
これまでの詰め込み型の勉強ではなく、
自ら課題を見つけ出しその結論を導いていくという大学での勉強スタイルに
まったくついていけなかったのです。
つまり「論理的思考」が全然出来なかったんですよ。
一人暮らしの自由さも加わって、
一限はほとんど出ず、出席単位が足りなくて落とした単位は数知れず。
見事な堕落っぷりでした。
その一方、
「その時、その場所でしか出来ないことに挑戦する」という熱いモットーのもと、
- 地域活性について実践的に学ぶ副専攻
- 古民家改修による地域活動
- アメリカ留学
- 部活動
- アルバイト
- インターンシップ
など課外活動には積極的に挑戦。
▼他大学との地域活動交流会で発表したりもしました。
副専攻や地域活動を通じて、滋賀県の魅力を存分に感じ、
卒業後も滋賀県で就職したいと思うように。
ですが、社会人との繋がりを生かしコネ入社を狙ったりとさまざまな方法を
試みましたがどれも上手くいかず。
結局東京の海外営業ができる企業から内定をもらい、就職活動を終えました。
その後、卒業論文を提出し、
東京での新居に引っ越しも済ませあとは卒業するだけ。
▼引っ越し前夜、滋賀の友達がサプライズをしてくれました。
…だったのですが、事件は起こりました。
そう、わたしは論文が書けなかったのです!!!
どういうことか説明すると、
今まで苦手な論文を避け続けた結果、書き方がまったくわからなかったのです。
しかし、わたしの大学では、卒業論文を提出しないと卒業できません。
にも関わらず、
「4回生の12月にもなって論文の書き方がわからないと言えない」
というクソみたいなプライドにより、最後の最後まで現実逃避。
一度は提出したものの、誰にも見せていなかったのでもちろん再提出です。
最終的には、再提出を放棄するという暴挙に出ました。
その時点で、留年決定。
東京の内定を頂いていた企業は内定取消しとなりました。
6.留年時代
留年が決まってから、東京の新居になるはずだった家を引き払い
大阪の実家に帰ってきました。
今まで勉強面で心配をかけたことがなかったのもあり、
なかなか理解してもらえず親との喧嘩の日々。
4〜6月はひきこもりニートに近い生活をしていましたね。
その後、どうにか現状を変えようと思い、
滋賀県彦根市の古民家シェアハウスへ引っ越し。
二度目の就職活動をした結果、唯一内定をもらったのは
またしても東京の企業。しかも、不動産投資のベンチャーです。
かつての夢であった「通訳ガイド」からは遠くかけ離れた仕事。。
やはり好きな場所で好きなことをして生きたいという思いから、
2017年2月、辰野町の地域おこし協力隊になることが決定。
地域おこし協力隊になること自体が目的ではなく、
自分の住みたい環境とやりたい仕事を追求していった結果、
行きついたのが辰野町の地域おこし協力隊でした。
あくまでも、目的ではなく手段ですね。
そして、今度こそ卒業論文を提出して無事2017年3月大学を卒業しました。
7.現在
長野県辰野町で地域おこし協力隊として活動しています。
テーマは「観光・移住定住促進による交流人口増」
わたしは、勝手に観光・魅力発信担当と言っています。
今年度は、
- 地元住民の方の観光ガイド育成
- 月1回、町内テレビチャンネルの番組企画・取材
に主に取り組んでいきます。
それと同時に、
「国内旅行業務取扱管理者」「通訳案内士」の資格を取るための勉強をしていきます。
8.性格
- 好奇心旺盛
- 飽きっぽい
- 真面目
- マイペース
- 大雑把
9.好きなこと
- 登山
- 旅行
- 野球観戦
- 美味しいものを食べること
10.さいごに
大学入学当初、
母親に「4年間で大学を卒業して、正社員として働いてくれさえすればいい」
と言われましたのを覚えています。
ですが、気がつけば4年間で大学を卒業することも、
正社員で働くことも出来ませんでした。
世間一般からみたら、かなり珍しいです。
でも、わたしは現在非常に幸せで充実した生活を送っています。
自分の好きなことを好きな場所でやろうとしているから。
わたしのこれまでの悩みや経験が、
誰かにとっての価値になったらいいなと思い、このブログを始めました。
みなさん、これからよろしくお願いします。
ではでは!
*当ブログ「ユカイナクラシ」はGoogle AdSenseを利用しています。
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